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分類:ヘッドアクセサリ タルト生地1、いちご1 プチショートケーキ1 色属性素材2 ふりふりサンドレス
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今から10年程前ちょっとした言葉の食い違いから両親と4年間連絡を絶っていた時期があった。 その当時は、あんな親なんかいなくても自分ひとりで生きていくつもりでいた。 しかし、自分も年齢を重ね社会にでていろいろなことを学ぶうちに、いつまでこんなことを続けるのか?という気持ちが生まれ始めてきた。 しかし、親に大見栄を切った手前、自分から連絡することが出来ずにいた。 そんなある日、父から手紙が届いた。 「もう充分だろう。一度帰って来い」と…。 父は、私の居場所を知っていたのだ。 知っているのに知らないふりをして見守っていてくれたのだ。 そんなことも知らずに、一人いきがっていた私。 なんて子供だったのだろう。 家の中では気の強い母の尻に敷かれていた父。 しかし、私と母がどんなに衝突しても私の味方についてくれた。 そのとき、今までのことを素直に謝れる気がした。実家に帰る決心がついた。 懐かしい玄関の前に立ち、チャイムを鳴らすとあの頃よりもちょっと老け込んだ母と、大きくなった弟が、あの頃のように出迎えてくれた。 四年前の空気が変わらずそこにはあった。 そして、何気なく玄関を見渡し、私は動けなくなってしまった。 そこに飾ってあったのは、私が高校生のときに授業で作った七宝焼きの皿だった。 上を見上げると、私の作った壁掛け時計もある。 …四年前と変わらずに。 母は、こんな私の作ったものを変わらずに飾っていてくれたのか。 それを見て何を思っていたのか。 私はといえば、実家に関するものはすべてしまい込み、それについて考えないように、いや、あえて嫌いになろうとし続けてきた。 私は何をしていたのか…。 涙をこらえて、こう言うのが精一杯だった。 「ただいま…」 涙で曇って顔は見えなかったが、お帰りと明るく言う母の声は何も変わるところはなかった。
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まだ1年ほど前の事なのですが・・・。 彼女がこの世を去りました。病死です。 その彼女と出会ったのは7年程前でした。 相手はその頃大学1年生でした。 持病があり、あと5年生きられるかどうか?と寂しく笑っていました。 それを承知で私たちはつきあい始めました。 つきあい始めたのは良いのですが、私の仕事の関係で遠距離(関西-東 北)になってしまいました。それでも、彼女は笑いながら逢えるついで に旅行も出来ると言い、月に1度のペースで会いに来てくれました。 相手は実家に住んでいて、私は貧乏サラリーマン。それを察して、相手 が私の所に会いに来てくれていたのです。 最初の3年は、その様な感じで普段は寂しいながらも、お互い幸せに 過ごすことが出来ました。 そして相手は卒業。しかしこの就職難の折り、東北から関西に就職す るのは無理でした。そこで彼女は地元で就職し、お金を貯めて関西に来 ると言いました。私も彼女を迎えるため、必死で貯金を始めました。 相手が就職して1年が過ぎたころ、相手の遊びに来る頻度が、それま で毎月だったのが、だんだん2ヶ月3ヶ月と間延びし始めました。 毎晩電話で話をしていましたが、丁度1年半ごろ前から、たまに彼女 が電話に出ないことがありました。そのころから、ふと私に嫌な予感が わき起こっていました。 私は両親がいません。物心ついた時には、父親は蒸発。そして私が高 校の時に母親が病死しました。そのため、彼女の両親には嫌われていま した。彼女はそれなりに良いところのお嬢様だったので、どこの馬の骨 とも分からない私は、最初から相手にされていませんでした。 ある日、そんな彼女の父親から私の元に電話がありました。 彼女の持病が重くなり、来週から入院することになる。だからもう電 話はかけてくるな、もうほっておいてくれとだけ言われ、一方的に電話 を切られました。 私は来るべき時が来たと思い、しばらく悩みましたが、思い切って上 司に掛け合ってみました。東北に転勤させてくれと。答えはNOでした。 しばらく会社と話し合いをしましたが、結局私は会社を退職し、故郷に 戻りました。荷物も売れる物は売り、出来る限り身軽にして彼女が入院 した病院の近くに、小さな部屋を借りました。離職票が出る前に契約し たので、なんとか部屋を借りることが出来ました。 そして、彼女に会いに行きました。 彼女はかなり驚いていました。そしてひたすら「ごめんなさい」と謝っ ていました。私は会社をリストラされたから故郷に戻ってきたと言い、 新しい勤め先も近くだから、仕事が終わったら会いに来るよ、とだけ伝 えました。 昼間は彼女の母親が居るので、私は病室に入れてもらえませんでした。 そして週末には父親も面会に来るので、もちろん病室に近寄ることも許 してもらえませんでした。ですので昼間や週末はコンビニでバイトして、 平日の夕方彼女の母親や父親が帰った後、残された僅かな面会時間に会 いに行くという日々を送っていました。 そうする間にも、彼女は目に見えて衰弱して行きました。 柔らかかった手は骨が浮き出て、頬はこけ、足はすっかり衰えてしま い、ベッドから起きあがるのも難しいくらいでした。 彼女は私が会いに行くとよく泣いていました。元気じゃなくてごめん なさい。ちゃんと両親に認めてもらえなくて、ごめんなさいと。私は、 そんな事気にしたことはありませんでした。ほとんど食欲がなく、もっ ぱら点滴と、管で栄養をとる彼女でしたが、時々大好物のリンゴを持っ て行き、すり下ろして絞って作ったリンゴジュースをなめさせたりしま した。そのときに見せる笑顔で私は十分幸せでした。 私に出来ることは、そうやって彼女を元気づけることだけでした。 短い面会時間だったので、あまり話も出来ず、ただ彼女の手を握り、 帰り際にキスするくらいしか出来ませんでしたが、私は十分幸せでした。 去年の3月の末くらいだったと思いますが、いつもの様に彼女に会い に行きましたが、彼女は眠っていました。病室に響く規則正しい電子音 に私も睡魔を感じ、つい1時間程眠り込んでしまいました。目が覚める ととっくに面会時間は過ぎており、あわてて病室を後にしました。 すると、エレベータの前のベンチに誰かが座っていました。別に気に せずエレベータのボタンを押そうとした私に、その人が話しかけてきま した。 「話がある。」 その人は彼女の父親でした。 「何でしょうか?」 「君はどうしてここにいる?」 「あの娘のお見舞いに来ているのです。」 「そんな事を聞いているのではない。」 「と言いますと?」 「会社を辞めて、フリーターになってまで、どうして帰ってきたんだ?」 「ご存じでしたか。」 「どうしてそこまで出来るんだ?」 「どうして?好きな相手の側にいるのに、何か理由が必要ですか?」 「・・・・。」 「私の事を認めてくれとは言いません。ですから、せめてご迷惑をおかけしない様にと・・・。」 「分かった。今度からは私たちに気兼ねすることなく、あの子に顔を見せてやってくれ。」 「え?」 「それではこれで失礼する。」 たしかこんな会話だったと思います。 それからは毎日彼女に会えるようになりました。彼女の母親も面会時 間の終わる1時間前に病院を出て、私が彼女と会える時間には席をはず してくれるようになりました。 彼女の話によると、父親が母親にそうするように言ったそうです。そ して、私とのことは彼女の好きにするようにとも言ったそうです。 でも、それから1週間ほどのことでした。 夜自分の部屋で寝ていると、彼女の父親から電話がかかってきました。 低く落ち着いた声で、今から会いに来てやってくれ、そのかわり覚悟 して来てくれと、彼女の父親ははっきりとした口調でそう言いました。 私は、大急ぎで彼女の病室に行きました。 看護婦や医師に囲まれたベッドの中で、うつろな目をした彼女が居ま した。薬の影響ですっかり髪の毛は抜け落ち、頬はこけ、青白い手を医 師が掴み、脈を取っている様子でした。 夕方彼女と会った時、確かに衰弱は進んでいましたが、それでも話が できる程度の元気があったはずでした。その変わり果てた彼女の様子に、 私は身動きも出来ませんでした。 一歩下がった所で、目を真っ赤に腫らして立っている彼女の両親が居 ました。私を見た彼女の父親は、黙って母親を促しました。彼女の母親 は私の手を取ると、この子の手を握ってあげて、と言いながら、彼女の やせ細った手を取り私に握らせました。 そのとき、うつろだった彼女の目に一瞬光が見えた気がしました。 そして、彼女はゆっくり口を動かしました。ほんの僅かでしたが、はっ きり動かしていました。私は急いで彼女の口元に耳をあてがいました。 微かでしたが、彼女は、ごめんなさい、と繰り返して言っていました。 私は涙が止まらず、そして何もいえず、ただその子の手を握り返し、 その子の言葉を聞き逃すまいと必死で彼女の口に耳を当てていました。 とにかく、頭が真っ白で、どうして良いのか分からず、ただ手を握り 返す事しかできませんでした。 突然私は肩をたたかれ、我に返りました。振り向くと彼女の父親が私 の肩を掴んでいました。そして彼女を真っ赤に腫れた目で見つめていま した。私はその手を取り、彼女の手を握らせようとしましたが、彼女の 父親は首を横に振り、君が握ってやってくれ、私はここで良い、と言い ました。 それからどれくらいの時間がたったのか、私には分かりません。しか し、それまで僅かにごめんなさいとつぶやき続けていた彼女が、一言、 別の言葉をつぶやきました。 「○○ちゃん(私の名前)ありがとね。すごくしあわせだったよ。」 確かにそう私には聞こえました。 それが彼女の最後の言葉でした。 私はあわてて彼女の両親の手を取り、彼女の手を握らせました。気丈 だったご両親でしたが、彼女の手を握った途端、涙を流しました。 それからどのくらいの時間がたったのか分かりませんでしたが、突然 それまで不規則に響いていた電子音が、連続音に変わりました。 医師が彼女の目に懐中電灯を当て、ゆっくり、ご臨終です、と言いま した。その言葉を聞いて、彼女の母親が声を上げて泣き始めました。気 がつくと私も、そして彼女の父親も声を上げて泣いていました。握りし めていた彼女の手が、ゆっくり確実に冷たくなっていくのを感じました。 次の日、彼女の父親から喪服を渡されました。そして、二通の手紙を 手渡され、今夜は君もあの子のそばにいてやってくれと言われました。 私はひとまず部屋に戻りました。部屋に入った私はしばらく力無く部 屋に座り込んでいました。ふと手に握らされた手紙を思い出し、二通の 手紙を見ました。一通は彼女の父親からでした。中を見ると一枚の便せ んにしっかりとした字で、すまなかった、そしてありがとう、その二言 が書いてありました。もう一通は彼女の字で、私に当てた手紙でした。 中には、私と出会った頃から彼女が入院するまでの事が、びっしり書き 込まれていました。そしてその内容一つ一つに、自分がどれだけ幸せだっ たか、どれだけ救われたかが書かれていました。その手紙を読みながら、 私はまた声を上げて泣きました。その手紙の最後には、こう書かれてい ました。 私が居なくなっても、○○ちゃんは元気でいてね。私のすごくすごく 大切な人だから、沢山幸せになってね。新しい彼女見つけなきゃだめだ よ。私のこと好きなら、○○ちゃん、絶対に幸せになってね。約束。 私はシャワーを浴びながら、声を上げて泣きました。いつまでもシャ ワーを浴びながら泣き続けていました。 シャワーを出た私は、彼女の父親から受け取った喪服を着ました。 なぜか私にぴったりのサイズでした。 まだ涙は乾いていませんでしたが、喪服に着替えた私は、彼女の家に 行きました。彼女の家には少しずつ親類や知り合いの方々が集まって来 ている様でした。私は彼女の両親に連れられ、彼女の安置されている部 屋に通され、彼女のすぐ側に席をあてがっていただけました。 彼女の両親は、親類縁者の方々に私を彼女と付き合っていた青年だと 紹介されました。 通夜と葬式にも出席させてもらえました。そして常に私があてがって もらえた席は、彼女に一番近い席でした。彼女の両親よりも近い席でし た。私はその席を辞退しようとしましたが、彼女の父親に諫められまし た。君がその席に座らなくてどうする。私たちに気遣うならその席に座っ てくれと。 今は彼女の父親に紹介された会社で働いています。いったんは断りま したが、彼女の父親と直接関係のある会社ではない事、そして仕事が気 に入らなければ自由に辞めて良いと説得され、その好意を受けることに しました。 彼女の思い出はまだ鮮明に心に残っています。
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小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。 当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった 寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、 ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。 翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。 俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと 持っていったお菓子のみで腹を満たした。弁当の中身は道に捨ててしまった。 家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い 涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」 と本当に嬉しそうな声と顔で言った。俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。 でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。 親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。 さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。 でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。 流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、 親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。 で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。 でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。 結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。 翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、 俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。 親父は去年死んだ。病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら 「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」とか何とか言った俺に対し、 親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。 弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。
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中学の入学式が終わっ2日後、突然母親が蒸発したんだ。 理由は分からない。女手1つで俺と兄貴を育ててたから生活は楽ではなかったんだ それは分かるが、それでも俺は楽しかったし、母も兄貴も楽しくやってると思ってた でも本当に突然、母がいなくなった 最初は2、3日帰ってこないだけだど思ってた。兄貴が何も言わずに普通にしていたから・ 1週間2週間たっても母は帰ってこなかった。その間俺の食事や家のことは、 当たり前のように兄貴がやっていた。 何もいわないで、ずっと以前からそれが日常だったみたいに。 当時高2だった兄貴には付き合い始めたばっかりの彼女がいたはずだった。 放課後一緒にいたかったはずなのに、スグに学校からかえってきて、 家の事をして俺の食事を作ってくれて、俺の弁当も毎日作ってくれてたっけ・・・ それから県内1の進学校に通っていたから、夜遅くまで勉強もしていたみたいだった。 そんな兄貴の苦労も知らずにいたおれは今までどーリ学校にいって、 放課後は好きなバスケに打ち込んで、本当に今までどーリだった。母親がいない寂しさを感じないくらいに 兄貴が俺にかまってくれたりしていた。 それでもある日俺は言ってしまった 「母さんどこ行ったの?もう帰ってこない?そんなんいやだ・・なんで帰ってこんの?」 一度泣き言言い出すともう止まらなかった。自分でも気づかなかったけどやっぱり 無理してたんだと思う。兄貴は俺が泣き止むまでずっとそばにいてくれた。 その後、母親が蒸発したこと・理由は分からないこと・1度だけ母から電話があったこと を教えてくれた。もう帰ってこないことも教えてくれた。おれは又泣いた。 すると兄貴はこういった 「寂しい思いはさせない。兄ちゃんがいるから大丈夫だ。御飯だっておいしいのを作ってやるさ」 本とはもっと違う言葉だったかもしれないけど興奮していた俺はよく覚えてない。 もちろんガキだったおれはその言葉で泣き止むことはなく、ずっと泣いていた。泣きつかれて眠るまで兄貴はずっと そばにいた。 それからの俺は荒れた。 別にタバコとか警察沙汰とかはなかったが学校で教師ともめたり同級生と喧嘩になって相手に怪我させたりもした そんな時いつも兄貴が学校にきて謝っていた。同級生の親に謝りに行った事もあった 本当に迷惑かけたとおもう そんな感じで1年が過ぎた。 当然の疑問だけど生活費はどうしているんだろうと思っていた。 聞いて見ると前からもらっていた生活保護金とバイト代を使っているって答えが返ってきた。 俺に内緒でバイトをしていたらしい。 どうも母が蒸発した翌月から始めていたらしい。 何のバイトなのかはどうしても教えてくれなかった。 でも生活保護金とバイト代だけで生活を支えてたんだから ホントに大変だったと思う。 おれは高校に進学した。兄貴が勉強教えてくれたから特待生で入学して 費用は一切かからなかった。 兄貴は進学せずに就職して生活を支えてくれていた 俺はバイトして少しでも兄貴を助けたいと思った。 でも兄貴がそんな時間があるならバスケと勉強してろって言ってくれた。 俺はそれに甘えた。今思い返してみれば俺はどれだけ駄目な弟だったんだって思う・・・ そんな俺たちの生活を見かねた親戚が離婚していた親父を連れてきた。 今からでも一緒に暮らそう。そういった親父に兄貴はこういった。 俺たちを1度捨てた人間には頼らない。でも弟には苦労をさせたくない。 弟だけでよいから一緒に暮らしてやってくれ。 兄貴は泣いていた。後で聞いた話だが自分ひとりで俺の面倒や大学進学費用を支えられないのが 悔しくてたまらなかったらしい。そんな兄貴の気持ちが嬉しかった でもこれ以上兄貴に迷惑をかけたくなかったおれは、親父と一緒に暮らし始めた。 それでも兄貴とは手紙で連絡をとってた。1月に2、3通ぐらいきてたっけ 次第に兄貴からの手紙が少なくなり、最後には来なくなった。 最近昇進して忙しいって手紙に書いてあったのと 大学受験2ヶ月まえだったことからそんなに気に止めてなかった 晴れて大学に合格して兄貴に報告の手紙を出したら、3週間後知らない女の人がたずねて来た 兄の恋人だったと言った。その人はこういった。 「あきおさんね、もう君には会えないんだ。あえないだけじゃなくて、手紙もかけない ううん、君だけじゃなくて私ももう会えないんだ」 そういって3つの封筒をだした。1つは兄貴の遺書だった。 兄貴から手紙が来なくなったのは、兄貴が入院したからだった。 入院なんてかくとお前心配するから、大学受験控えてるから 昇進して忙しいってウソついた。ごめんな。 医者が言うにはもう助からない見込みが高いって。 お前の卒業式とか入学式とか見に行けないかな。ごめんな そういえばお前の引退試合も仕事で見に行けなったな。ごめんな お前さびしがりやだから俺がいなくなって大丈夫かな? でももうずっと俺がそばにいなくても大丈夫だったから大丈夫か? 何か文章おかしいな。いざこんな事書こうとしたら中々かけないもんだね。 もっといっぱい書きたいことがあるはずなのにな。なんでかな、言葉が出てこないよ。 いまさらだけどこの手紙をお前が見てるときは、俺はもういないんだよな。 お前の成長をまだまだ見たいし、お前が本気でほれる女の子も見てみたい。 なんて自分の子供に言う言葉みたいだな。 それなんだ。お前に言いたいのは。 母さんがいなくなってから俺がお前の親父代わりで母親代わりだったつもりだ。 それでもやっぱり寂しい思いをさせたよな? 最初の頃は料理も下手くそだったよな? 全然駄目な兄貴でごめんな 頼りになんない親父だったな、ごめんな お前の悩みひとつ聞いてやれない母親だった。ごめんな 身内自慢になっちゃうけど、こんな俺の弟なのにお前は最高にいい男だよ お前の兄貴だったこと、親父だったこと、母親だったこと 全部がおれの自慢だよ。これから先もっといい男になって、立派な父親になってくれ あ~何書いてんだろう俺、馬鹿みたいだな これ以上書くと情けないこと書いちゃいそうだから そろそろ終わりにするよ じゃあ元気でな。 いつもの手紙とちがって、子供が書いた手紙みたいな 兄貴の遺書がとても暖かった。残り2つの封筒は兄貴の日記と、 兄貴が恋人に宛てた手紙だった。 手紙を読んで分かったんだけどこの女の人は兄貴が高2の時から付き合ってる人だった。 その日記や手紙には俺のことがたくさん書いてあった。 俺のことで悩んでる兄貴がそこにいた 俺のことをとても考えてくれてる兄貴がいた 俺の前では決して見せなかった弱い兄貴がいた 兄貴の苦労が始めて分かった 兄貴が抱えていたつらさが初めて分かった もう兄貴に会えないと思った 悲しくてたまらなかった。 いままで長々書いてきたけど結局おれは兄貴にありがとうが言いたい 6年間で兄貴にありがとうなんて言った覚えがないんだ。恥ずかしい話だけど ほんとだめだな俺。 なあ兄貴 こんな俺が自慢の弟だなんて言ってくれてありがとう 俺を6年間守ってくれてありがとう それから兄貴を6年間支えてくれたナナさん どれだけ感謝してもたりないけど本当にありがとう
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今年、母が亡くなった。 遅い反抗期だったと思う。 中学生まで親に逆らわず良い子だった俺が、高校生になり急に親に反抗するようになった。 母親には罵声を浴びせ、家に帰らない日々が続いた。 高校卒業と同時に家出同然に実家を出た。 最初のうちはそれでも住所くらいは伝えていたが、住所を何度か変えるうち いつの間にか両親との連絡は一切途絶えてしまっていた。 唯一電話番号を教えていた(それでも一切連絡のなかった)弟から電話が来たのは、 俺の彼女のお腹に子供がいることが判明した今年2月の事だった。 母が倒れたと言う。 両親に対する反抗心はもうなかったが、いまさら帰るのは正直億劫だった。 母が深刻な状態などとは思ってもいなかった。 それでも行く気になったのは、彼女を紹介しようと考えたからだ。 母親が亡くなったのは、翌日俺たちが高速道路を走っている頃だったらしい。 久しぶりに会った親父はひどく小さな背中をしていた。 相変わらずの無骨な声で、「よう」だか「おう」だか一言発しただけだった。 母は俺の記憶とは全く違う老いた顔で、それでも安らかな表情で眠っていた。 涙は出なかった。 葬儀も終わって一週間位たった頃、親父から俺宛にひとつの段ボール箱が届いた。 中身は父の無骨な字で書かれた「母さんの形見だ」というメッセージと大量の手紙、 そして、ひとつの指輪だった。 百通以上はあろうかという手紙は、すべて母が俺に宛てて書いたもので、 俺が家を出た頃から書いていたらしい。母らしい丁寧な字で ひたすら俺のことを心配する、そして自分の不甲斐なさを俺に詫びる内容だった。 それらの手紙は、親父らしからぬ几帳面さできちんと順番に梱包されていた。 同封されていた指輪にも一通の手紙が添えられていた。 「この指輪は、私のお母さん、つまりあなたのおばあちゃんの形見です。 私が結婚するときにもらったものです。あなたたにいい人ができたら、 この指輪をプレゼントしてあげてください。私の両親や私たちのように、 幸せな家庭を築いてください。」 俺は指輪と手紙を彼女に渡して、黙って寝室に行った。 しばらくして彼女が真っ暗な部屋に入ってきて、 俺の背中に背中を合わせて座った。すすり泣いていた。 その時、「あぁ、泣いてもいいんだ」と思った。涙が出てきた。止まらなかった。 母さんごめんな。そしてありがとう。 生まれてくる娘の名前には、あなたから一文字頂きます。 あなたに返せなかった愛情を、そのぶんこの子に与えられるように。 そして、あなたの優しさや強さをこの子に伝えるために。
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三年前に親父が死んだんだけど、ほとんど遺産を整理し終えた後に 親父が大事にしていた金庫があったんだよ、うちは三人兄弟なんだけど おふくろも死んじゃってて誰もその金庫の中身を知らなくてさ とりあえず兄弟家族みんな呼んで、その金庫をあけることにしたんだけど これがまた頑丈でなかなか開かないんだよ。仕方ないから鍵屋を呼んで 開けてもらうことにしたんだけど、なかなか開かなくてさ なんとなく俺たちは子供の頃の話を始めたんだよ、親父は昔からすごい厳格で 子供の前で笑ったことも一度もなくて旅行なんてほんとにいかなかった 子育てもお袋に任せっきりで餓鬼の頃はマジで親父に殺意を覚えたよ んで、一番下の弟が、そういうわけだからしこたま溜め込んでるんじゃねえか? みたいなことを言い出して、その後に真中の弟も親父が夜中に金庫の前で ニヤニヤしながらガサガサやってんのを見た とかいったから 俺もかなり金庫の中身に期待を抱いちゃったんだ んで、そのときに鍵屋がちょうど「カギ、開きましたよ」といったから ワクワクしながら金庫の前に行き、長男の俺が金庫のドアを開けたんだ そしたら、まず中からでてきたのは、古びた100点満点のテストなんだ それをみた一番下の弟が「これ、俺のだ!」といって俺から取り上げたんだよ 次に出てきたのは、なんかの表彰状、すると次は次男が”俺のだ”といいだして その後にネクタイが出てきたんだ、見覚えがあるなあと思って 気がついて叫んじゃった「あ、これ俺が初めての給料で親父に買ってやったネクタイだ」 その後に次々と昔の品物が出てきて、最後に黒い小箱が出てきたんだよ その中には子供の頃に家の前で家族全員で撮った古い写真が一枚出てきたんだ それを見た俺の嫁さんが泣き出しちゃってさ、その後にみんなもなんだか 泣き出しちゃって、俺も最初は、なんでこんなものが金庫のなかにあるのかが分からなくて なんだよ、金目のものがねーじゃんとか思ってちょっと鬱になってたんだけど 少したって中に入っていたものの意味が理解できたとき、その写真を持ちながら 肩震わして泣いちゃったんだ。人前で初めて本気で号泣しちまったよ そこで鍵屋が、きまずそうに「あの、私そろそろ戻ります」とかいったんで みんなが、はっとして涙をにじませながら「ありがとうございました」 このとき、俺は親父がどんなに俺たちのこと想っていてくれたかと さっきまでの自分が金目当てで金庫を開けようとしたこと 子供の頃に親父に反感を抱き、喧嘩ばっかりしたことが恥ずかしくて仕方がなかった 親父は金よりもほんとうに大事なものを俺たちに遺していってくれたと思っている
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娘が6歳で死んだ。 ある日突然、風呂に入れている最中意識を失った。 直接の死因は心臓発作なのだが、持病のない子だったので 病院も不審に思ったらしく、俺は警察の事情聴取まで受けた。 別れた女房が「彼氏」同伴でやって来たが、 もはや俺にはその無神経に腹を立てる気力もなく 機械的に葬式をすませた。 初七日も済んで、俺は独りで映画を観にいき、娘が観たがっていた ゴジラととっとこハム太郎の二本立てを観ることにした。 とっとこぉはしるよハム太郎♪の歌を聴いた瞬間、やっぱり俺は泣いた。 6歳にもなって活舌の悪い娘が、この歌を一生懸命覚えて、 とっとこぉ、はしゆよ、はむたよお♪と歌っていたっけ。 ハム太郎の紙コロジーだってクリスマスに買ってやるつもりだった。 女親のいない家庭だったが、少しでも女の子らしくと、 服を買うときだって、面倒がらずに吟味を重ねた。 学校だって、行きたいところに行かせてやるつもりだったし 成人式には、ちゃんと着物を着せてやるつもりだった。 女房と離婚してから俺は100%子供のために生きることにして、 必死にやってきたのに、この世に神様なんて絶対いないんだと知った。 一人になった俺は、今でもハム太郎を欠かさず観ている。 30半ばの男が、ビール飲みながらアニメを観てる光景は異様とは思うが、 なんとなく習慣で、金曜の6時半は必ずTVをつけてハム太郎にしている。 もちろん毎週泣いたりはしていない。 今朝、仕事に行くとき車の中でラジオをつけると、子供電話相談室をやっていた。 ゲストはハム太郎とたいしょうくんの声優が来ていた。 「どうしてハム太郎は、何かするとき(たーっ!)って言うんですか?」 「どうしてたいしょうくんのおへそはバッテンなんですか?」 二人の声優は「○○くん!あのね・・・」と一人一人の名前に語りかけ、 きちんとそのキャラクターを演じて答えた。 俺はまた泣いてしまった。一人でTVを習慣で観ていても平気だったのに。 聞いてくれ、ハム太郎、そしてたいしょうくん。 俺にも娘がいたんだ、男としての自分を捨てて父親としてのみ 生きる決心をさせるにふさわしい最愛の娘だった。 何枚もハム太郎の絵を描いた。何度も懸賞に応募した。 ぬいぐるみショーは地方都市優先だったから東京にはなかなか来なかった。 ハムちゃんずは、全国の子供達のスターだからそれはしょうがない。 だけど、うちの娘もずっと疑問に思っていたことがあったんだ。 それは「どうしてまいどくんはいつも目をつぶっているのか?」という疑問だ。 どうかどうか、俺の娘の名前も呼んで語りかけて答えて欲しい。 そんなバカで無茶なことを考え、嗚咽しながら俺は車を運転した。 ダメだ、ずっと冷静に暮らしているのに、ときおりこんな些細なことで 突然こんな風になってしまう。
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俺の毎朝の日課は、小学校1年の娘と一緒にモノレールに乗る事。 駅までの道は手を繋いで行く。 他人から見ると、いい家庭を絵に描いたような風景だが、実際は違う。 妻とは会話もほとんど無いし、たまに会話をするとなぜか口論になる。 そしてお決まりの展開。 「だったら、別れるか?」 「いいよ!でも、子供はどうすんの?」 「・・・・」 いつものセリフで言い争いが終わる。 ある日の出社前、読みかけの本を入れようとしてカバンを開けると中に何か入ってるのに気づいた。 「封筒?・・・」 取り出してみると、つたない字で俺の名前が書いてある。 『○○ ○○へ』(○○ ○○は何故か俺の氏名) 娘から俺宛の手紙だった。 いつの間に入れたのだろう? 早速読んでみた。 (原文のまま) 『人のかん字はささえあっていることとぱぱは、わかっていた? わたしはそんなことしらなかった、でも先生から、ならったんだよ。 もしぱぱが、しってたらどのときからしったかおしえてね。 いつもかいしゃをわたしたちのためにかいしゃをがんばってくれて、ありがと。』 便箋の余白には、「だいすき」という文字が入ったハートがちりばめられてる。 たくさんの消しゴムの跡、大きさがばらばらの字。 でも、一所懸命書いたんだよって思いは痛いほど伝わってくる。 朝っぱらからグっときた。 そして、会話をしない父と母を見てる娘の気持ちを考えると、すごく悲しくなった。 嬉しさと悲しさがごちゃ混ぜになったような気持ちって分かるだろうか? 涙をこらえるのに必死だった。 その日も、いつもの様に二人で手を繋いで駅への道を歩いて行った。 道すがら、娘に言った。 「ひかる。手紙、ありがとうね」 そう言うと、娘は照れくさそうに笑った。 娘は何も言わなかったが、繋いだ小さな手に少しだけ力が入る。 俺もちょっとだけ強く握り返した。 言葉は無かったが、娘がどんなことを考え、何を言いたかったか分かった気がした。 「照れくさいけど、今日帰ったらあいつ(妻)にやさしい言葉でもかけてみるかな」 駅で友達と合流して、俺から離れて行く娘の後姿を見ながらそう思った。 今さっきの複雑な気持ちは消え、少しだけ晴れやかな気分だった。 今では妻とは割と仲良くやってます。 娘よ。Thanksです。
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+ いちごショートケーキハット + 区分 : ヘッドアクセサリー Lv : 10 + 画像 + + レシピ + #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (いちごショートケーキハット.gif) いちご × 5生クリーム × 2生ケーキ × 1 + 属性 + なし + 売値 + 899 サブレ + レア度 + + 説明 + 生クリームたっぷり。大きなサイズのいちごショートケーキハット ■ 作れるレシピ アイテム名 レシピ 区分 売値 プリンセスカチューシャ いちごショートケーキハット × 2生クリーム × 3 ヘッド 3800 ホイップドレス いちごショートケーキハット × 2ミルク × 10クレマの生クリーム × 2 トップス 1300 いちごショートケーキハット × 2ショコラ × 2チョコのココア × 1 いちごショートケーキハット × 2ゼラチン × 2ジュレの高級ゼリー × 1 いちごショートケーキハット × 2いちごジャム × 2フリュイのいちごジャム × 1 いちごショートケーキハット × 2生クリーム × 2ソーダ水 × 5 いちごショートケーキハット × 2生クリーム × 2カシスジャム × 1 1350